七曜とは?六曜より早く届いた曜日の起源
七曜(しちよう)は、太陽と月、そして肉眼で見える惑星を並べた呼び名で、いまの曜日そのものです。日本に届いたのは平安時代の初め。六曜より五百年ほど早く、当時は暦の隅に朱で書き込まれる吉凶の材料でした。
七曜は天体の名を並べたもので、いまの曜日と同じ
太陽、月、そして夜空で位置を変えていく惑星。この組み合わせが七曜です。ほかの星が天球に貼りついたまま回るのに対して、惑星は星座のあいだを勝手に歩いていきます。動くものには意思がある、と古代の観測者は読みました。星占いはそこから始まります。
「曜」は輝くという意味の字です。七曜と書けば輝く天体の総称、七曜日と書けば一週間の巡りを指しました。日常語として残ったのは後者でしょう。毎日なにげなく使っている月曜や金曜という言葉は、もとをたどれば占星術の用語です。
並び順は「天体が時間を支配する」という発想から出ている
日月火水木金土。この並びは、明るさの順でも、地球から近いと考えられた順でもありません。かといって、でたらめに決めたわけでもないのです。
古代の占星術では、一日の時間を天体が順ぐりに支配すると考えました。並べる基準は、空を動く速さ。遅いものから順に、土星、木星、火星、太陽、金星、水星、月となります(古代には、この順が地球から遠い順とも考えられました)。一日は二十四時間、天体は七つ。割り切れずに三つ分の余りが出るので、翌日の先頭を担当する天体は三つ先へ飛びます。
土星で始めた日の翌日は太陽が先頭に立ち、その次は月、さらに火星へ。日曜を起点に並べ直せば、日月火水木金土。この節の初めに挙げた見慣れた巡りが、この計算だけで出てきます。不規則に見える並びに、きちんと理屈があるわけです。
日本へ届けたのは密教の経典で、六曜より五百年ほど早い
七曜の発想をさかのぼると、古代バビロニアの天体観測に行き着きます。ヘレニズム期のエジプトで時間の支配という理屈が整い、インドへ渡り、シルクロードを通って中国へ。8世紀に漢訳された『宿曜経』は、経の字がついていても中身は占星術の教科書です。
これを唐から持ち帰ったのが空海でした。密教の典籍とともに、9世紀の初めに海を渡ってきたことになります。
面白いのは日曜の呼び名です。当時の暦は、日曜を指す中央アジアのソグド語ミールの音を写した字を当てたようです。さかのぼればゾロアスター教やマニ教の太陽神ミスラに行き当たる名です。ペルシャの神の名が、平安京で配られる暦の隅に朱で残っていたことになります。
六曜が日本に入ってくるのは、これよりずっと後です。鎌倉末から室町にかけての頃と見られ、庶民に広まったのは江戸の後期。旧暦の月と日を足して6で割った余りで決まるという仕組みは計算ルールに書いたとおりで、暦の上では新しい部類に入ります。
平安の貴族は、曜日を単独で吉凶に使っていない
朝廷の陰陽寮が作る具注暦には、日付ごとに干支や節気、禁忌の注記がびっしり並びます。平安期のものは、その頭の欄外に朱書きで星宿(星座の区分)と七曜を添えました。藤原道長が日記を書きつけたのも、この具注暦の余白です。現存する平安中期の巻には、すでに曜日が見えます。
見落としたくないのは、組み合わせて読んでいた点でしょう。宿曜道と呼ばれた占いは、星宿や十二宮、北斗、そこに七曜の巡りを突き合わせて、その日を担当する星を決めました。曜日だけを取り出して「今日は火曜だから荒れる」と読むような、単純な使い方ではなかったのです。生まれと星を結びつける発想という意味では、むしろ本命星の考え方に近いかもしれません。
宿曜道は陰陽道と張り合いもしました。祈祷の日取りをどちらの流儀で決めるかで対立し、暦を誰が作るかという主導権争いにまで及んだ時期もあります。
吉凶の道具としては廃れ、休みの単位として戻ってきた
七曜が吉凶を読む材料として使われなくなったのは、占いの中身が否定されたからではなく、担い手が絶えたことが大きいでしょう。宿曜道は南北朝以後の貴族社会の没落とともに細り、拠点となった寺院を失って以降、歴史から姿を消しました。
天体の位置を記した「七曜暦」のほうも似た道をたどります。大陸との行き来が細ると新しい暦が入らなくなり、暦の職が世襲になって計算の腕も落ちていきました。やがて自前では作れなくなりました。江戸期にいったん復活したものの、記載する惑星の位置の精度が保てなくなり、刊行は止まりました。
もう一つ、身も蓋もない事情があります。七日ごとの区切りを使う場面が、当時の暮らしにありませんでした。田畑の仕事は節気と月の満ち欠けで回り、日曜に休む習慣もない。日取りを見たいなら、選日や六曜のほうがよほど具体的で使いでがありました。
それでも曜日の巡り自体は途切れていません。七日ごとに順が繰り返されるだけの仕組みなので、暦への記載が絶えた時期をはさんでも、数えて今日のカレンダーまでつなげられます。表舞台に戻ったのは明治です。改暦で太陽暦が採られ、官庁に日曜の休みが定められて、七曜は吉凶の注記ではなく生活の単位になりました。世の中の隅々まで行き渡ったのは、さらに戦後のことです。
曜日に吉凶を割り当てても、暦としては差がつかない
では、曜日ごとの吉凶を気にすべきか。ここは落ち着いて構えていいと思います。
七曜は七日で必ず一巡します。均等に、無条件に。「この曜日は凶」と決めてしまえば、一年のうち五十二日か五十三日、人生のおよそ七分の一が最初から凶ということになってしまいます。毎週その曜日だけ調子が悪かった、という実感を持っている人はまずいないでしょう。
選日が手がかりになるのは、日付が動くからです。一粒万倍日は節月の支と日の支の組み合わせ、天赦日は季節と日の干支で決まり、年ごとに並びが変わります。だから「今年のこの日」という具体が出てきます。曜日にはその変化がありません。
実務で曜日が効くのは、むしろ別の場面です。狙った吉日が平日か休日かで、動けるかどうかは変わります。入籍や開業の届け出なら、窓口が開いている日か。旅行や引っ越しなら、連休につながるか。暦・開運日カレンダーで日付を押さえたあと、次に確かめるのはそこでしょう。
思いつきで楽しむ分には、何の遠慮も要りません。金曜にお金の話をまとめる、月曜に月次の計画を立てる。天体の名前から連想を広げるのは占いというより言葉遊びですが、千年かけて吉凶から降りてきた暦には、そのくらいの軽さが似合う気もします。
七曜と六曜はどちらが古い?
日本に伝わった時期でいえば七曜です。平安時代の初めに密教の経典とともに届きました。六曜が入ってきたのは鎌倉末から室町にかけての頃で、五百年ほどの開きがあります。
曜日の順番はなぜこの並びなの?
一日の24時間を天体が順に支配するという考え方から出ています。空を動く速さの順に並べた七つを時間へ割り当てると、翌日の先頭は三つ先へずれます。これを繰り返した結果が今の並びです。
七曜の吉凶は気にしたほうがいい?
七日ごとに均等に巡るものなので、吉凶の濃淡はつきにくいでしょう。日取りを選びたいなら、年ごとに日付の変わる選日のほうが判断の材料になります。